時代の変化のスピード
歴史学者アンガー・デリブリックの試算によれば、今世紀に入ってからの時代の変化のスピードは、20世紀前半の20倍にも達しており、人はほんの3~4年で100年前の人間の一生分の変化を、一生のうちに数世紀分の変化を体験しているという。
この数字がどれくらい妥当なものか分かりません。でも、実感としては、変化のスピードは増しています。物心ついてから高校を出るくらいまで、社会が変わったという実感はありません。
子供だから社会に関心がなく、またそれだけ平穏な時代が続いた、とも言えるわけですが。
極端なことを言うと、石器時代にはおそらく何世代にわたって、社会に変化はなかったと思うのです。ずっと同じ方法で道具を作り、食事の支度をしていたでしょう。
これは情報の共有手段がなかったのが、ひとつの理由だと思います。情報がなければ、それは自分の生活に関係ありませんから。隣り村で新式の石器が考案されても、自分が知らなければ無いのと同じです。
特に情報通信の発達、携帯電話やインターネットのブロードバンド以前と以降では別の世界のようですが、それにしては、日本の失われた10年20年という停滞は何なのだろうか、思ってしまいますよ。
終戦から10年でもはや戦後ではない、といわれるほど発展していた頃と比べると、この20年間はあまりにも虚しい停滞ぶりです。
時代が下るにしたがって、変化が早くなるのは
たしかでしょうね。
小学校で日本史を習うと、明治以降急に変化が
早くなるのは、だれでも気がつくことだと思います。
どこの社会でも、時代の変化が早くなるのは
近代以降だと思うけれど、交通や通信手段が
きゅうに発達した時代でもあるから、
情報の伝達速度の上昇が、時代の変化を早くするのは、
たしかにあるのかもしれないです。
停滞していますかね? 社会の大きな変化としては、2001年の911テロや2005年の郵政選挙、民主党の政権奪取、その後の凋落、東日本大震災、福島原発事故と、ひとつひとつが社会に変化をもたらしました。
それが十数年に詰まっているのですから、ものすごい変化だと思うのですが。
いま「アンガー・デリブリック」を検索してみたら、「神は沈黙せず」に関する記事ばかりが並びました。架空の人かもしれません。
人類の誕生から、テクノロジーの進歩を一年で喩えると、火を使いはじめたのが8月とか、青銅器時代が12/30とか、概算ですがそんな具合ですよ。
12/31の夜になって、飛行機が飛び電話が生まれパソコン、ネット、クラウドとなるでしょう。最後の最後にすべてが詰まっている。
上に書いたアメリカのテロも、たとえば開国前であれば日本には関係ない事件ですよね。また東日本大震災も、充分に過去であれば、被災地以外の人には無関係なわけで。(津波がきたとか、そんなことを知るすべがない)
情報が行き交うからお互いに影響するのですよね。
大真面目に語るとトンデモじみてくる気もしますが、自我の拡大と社会変化について考えるとおもしろいかも。