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弱者への愛には、いつだって殺意がこめられている

安部公房の文章からは言葉に対する偏執狂的な関心がうかがわれる。彼は言葉で遊んでいるわけではなく、その意味を考え抜き、ツール性をぎりぎりのところまで追求しているのだと思う。以前に紹介した「死に急ぐ鯨たち」から「書くこと」に関する部分をいくつか抜き出してみよう。


「小説の言葉は道具でいい。本来、散文は道具に徹すべきだ。手拍子におぼれていると副詞過剰症におちいってしまう」(P63より)
「ワープロは書く機械ではなく、校正する機械なんだ」(P62)
「(ペンで原稿を書いていた時には)一つの作品に万年筆を三本くらいつぶして、書きくずしの原稿用紙の山に膝まで埋まって」(P172)


「新潮日本文学アルバム 安部公房」には「燃えつきた地図」の原稿(P82)と「密会」の校正書き入れ原稿(P94)が載っているが、いずれも加筆訂正だらけで、どう直っているのか判別が困難なくらいである。全ページにわたって何度もこんなことをしていたら、たしかにペンが何本も必要になるだろう。

また、「箱男」は実際に箱にこもって執筆した、と云うまことしやかな話もどこかで読んだことがある。面白い人だ。


燃えつきた地図
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密会
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(表題は、安部公房の夢日記「笑う月」(新潮文庫)から引用した)
by tomoarrow | 2010-07-10 06:57 | 書物について | Comments(0)