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噂で聞いただけ*なんだけど、小田原城郭研究会なる団体が、小田原城の近所の民家を追い出して、堀を復元しろと市に要望を出している(圧力をかけている??)そうです。ふうん。

民家があるってことは人が住んでいるわけで、その人たちを追い出すにはそれ相応の保証金が必要ですよね。堀を作り直すくらいだから、何軒も出てってもらわないといけないんじゃないの? それだけたくさんのお金はどこから出るの? 税金をつぎ込むの?

やるなら自分たちでお金を集めて、土地を買収してブルトーザーを借りて工事したら? 文化財保護はもちろん大事だけど、いまの小田原城は昭和に入ってコンクリで作ったパチもんでしょ。

お城の敷地にはでかい門がいくつもあるけど、これだって平成に入ってから重機でつくったんだよ。どれだけ新しい城だよまったく。

鑑定団の中島先生が見たら「これね、過去の図面を元に復元した、写しってやつですね。ほら、表面が真っ白で新しいでしょう。まあ、せっかく税金をじゃぶじゃぶつぎ込んで作ったんだから、せいぜい大事になさって下さい」
と言うんじゃないかな(笑い。

石垣や堀の整備はもういいから、堀に実物大のエヴァンゲリオンの胸から上を作って、ドックみたくすればカッコいいと思う。ほら、第一話でしんちゃんが「こんなの乗れないよ」と叫んだあそこ。観光客が大勢来ると思うけどな。

実は小田原城郭研究会はどこかと戦争するつもりなのかな? それで、歴史保全の名目で城郭を整備している? それならエヴァにちゃんと武装させれば無敵だよ。アンビリカルケーブルを外すと5分くらいしか動かないけどね。


*もしかしたらこの噂はガセかもしれませんねー。もしそうなら小田原城郭研究会さんごめんなさい。本当なら、どこと戦争するの?
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小林恭二
福武文庫

うらぶれた場末の遊園地、「下高井戸オリンピック遊戯場」は双子の転天才、藤島宙一・宙二兄弟の卓越した経営手腕により急成長を遂げ、「ゼウスガーデン」と名を変えて、ありとあらゆる欲望を吸収した巨大な快楽の王国となってゆく。


==内容に触れています==

タイトルからもローマの歴史を連想させます。となると、建国の立役者は双子ですよねー。冒頭から建国の祖、宙一・宙二の生い立ちを語り、そのままゼウスガーデンの歴史にスライドしてゆく手腕は見事。次々と繰り出されるガジェット、モチーフが読者に考える間を与えません。

サメと泳ぐプールや美学としての心中。各地に系列遊園地が作られ、幹部組織が「元老院」、社長が皇帝と呼称される。などなど、意味深なような思いつきだけのような猥雑感があります。双子の兄弟がわりあい早くから所在不明になるのもいいですね。

ゼウスガーデンは日本のなかにある治外法権区域です。ローマのような一大王国であり、独自の文化を誇ります。派閥抗争はテロルの応酬にまで発展します。

遊園地が国家規模の権力を握るなんて、昔読んだときにはとても考えられなかったのですが、いまではこういう事もあるかもな、と思います。

人と金が集まれば、それが権力の源になり得る、そういうことです。

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7/257/26に続いて今日もしつこく続けます。
仏教思想*では相対化と、その不可能性を旨としているように感じます。たとえば無の思想。

まず、物事が無い状態を想像します。でもそこには「無い状態」を認識する主体があるのでそれすらも消し去ます。でも消し去った状態を認識する主体を想像し(だってそこが本当に本当の無なのか、誰かが確認しないといけないじゃん、その誰かは誰? )・・と堂々巡りに陥ってしまう。

非想非非想という言葉は、ある時点で堂々巡りを強引にストップさせたようなものです。無とは本質的に不可能ではないのかという気にもなります(笑い。

しかし、上記の詭弁や無化の可能性不可能性をも無にしようとする、それが仏教の「無」ではないのか、とも感じます。だって全てが「無」なんだから。

爪が長いバラモンさんは、思考停止していると同時に大きなジレンマも抱えています。今日のバラモンさんは、ディーガナカさん(手塚の「ブッダ」ではサンジャジャさん。名前が違いますが言う事は大して変わらないので、この稿では同じガジェットとして扱います)。この方は(「ブッダ」ではなく)仏典ではこう記されています。

http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/dhiganaka1.htm
「わたしは、あらゆる見解も、認めません。」

「ディーガナカよ、それならば、その見解も、汝は、認められない、ということになるだろう。」



「ゴータマよ、これだけは、例外なのです。」

「ディーガナカよ、そうして、例外を作って、見解に漏れを作れば、何も言ってないに等しい。」


ははは、ゴータマに負けた。あらゆることを合理的に疑うのは不可能ですよねー。物事を一種メタな視点で見て、自分が疑うことも同じように疑う必要があるのですから。ディーガナカさんの失敗は、自分だけを超越視点に置いてしまったところにあります。

自分すらも無化しようとする仏教の、初歩にすら立っていないディーガナカさんは、ゴータマに口で勝てるはずもなかったのですねー。


*僕はブッディストではないし、もちろん研究者でもありません。仏教思想を面白ければいいや式に楽しんでいるだけですので、念のため。
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ワインの試飲用カップです。
平らなので色が分かりやすく、輪っかがついているのでひもで首に吊るしておける、といろいろな工夫がなされているようですが、たいして使い勝手がいいわけではありません(苦笑。

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金属製なので重いし、グラスで飲むよりも美味しくないし。プロのワイン醸造家でもない僕にとって、まあ一種のアクセサリーですよね。

山梨にブドウの丘というワイン試飲施設がありまして、何度か泊まりがけで行きました。ここではタートバンを買い、それを使って地下のセラーで飲み放題(あくまでも試飲)なのです。行くたびに買うのでだんだんたまります。

我が家にはごらんのように、たっくさんあります。これでワインを飲んでも美味しくないので、ナッツやチーズの器にしています。

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脂が少なめの豚かたまり肉をタコ糸で縛り、塩こしょうをまぶして一晩おきます。

水1.5リットルにお塩とかコンソメとか香草を加えて沸騰させます。火を止めて、タコ糸で縛った固まり肉を入れます。ふたをして1時間半おきます。一度お肉を取り出して、もう一度沸騰させて火を止め、お肉を入れます。

自然に冷めるのを待って、スープごとガラスの保存容器にでも移して、冷蔵庫にしまいます。よく冷えたら出来上がりです。

薄く切って、サラダやパンにのせると美味しいですね。もし血が混じっているようなら、ちゃんと火を通して下さい。
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昨日の続き。

爪が長いバラモンさん(「ブッダ」ではサンジャジャさん)はあらゆる物事を疑います。

「トラがウサギを食べるか? ウサギがトラを食べるかもしれん」


これ、実に面白い命題ではあります。仮に、ウサギとトラを念入りに観察した結果、ウサギがトラを食べていることが確認出来たと仮定しましょう。するとどうなるか?

「ウサギがトラを食べる事もありうる」

と結論されます。しかし、今までに観察されていた「トラがウサギを食べる」事実は覆りません。

白いカラスが発見されたとしても、カラスは白い、という結論にはなりません。ここで覆るのは「全てのカラスが黒い」ことであって、「白いカラスも存在する」という注釈が付記されますが、いままでに観察された「カラスが黒い」事実は動かしようがないのです。

ではここで、我らがサンジャジャさんに登場を願いましょう。サンジャジャさんがウサギがトラを食べているところを目視したとします。するとこの人は、「ウサギがトラを食べるか? トラがウサギを食べるかもしれん」と言わざるを得ないのではないですか? (なにしろ「見えるということ自体わしは信じんのだ」と言う人ですから)

なぜこのような堂々巡りに陥るのでしょうか? サンジャジャさんは懐疑を口にするだけで、事実の認識が出来ないからです。上に書いた、「ウサギがトラを食べる事もありうる」以前の段階で足踏みをしているのです、この人は。


全てを疑うのは、全てを信じるのと同じく思考停止だと思います。
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懐疑だけしかないキ印さん。
手塚治虫の「ブッダ」にも出てきましたね。

太陽は黄色いか?
緑色かもしれない
いまは昼なのか?
夜かもしれない
トラはウサギをたべるか?
ウサギがトラをたべるかもしれない
鳥は空を飛ぶか?
空が鳥をとんでいるのかもしれん!
すべて いっさい
そうだとは断言できないことこそ正しいのだ
わかるか

(「ブッダ」第六部第一章より)


面白い人です。最終的には懐疑精神の有効性や自身や世界の存在まで疑うのでしょうね。

実は疑い方にもルールがあります。たとえば「オッカムのカミソリ」なる科学思考法。要は仮説節約の原則です。よりシンプルな説明があるのなら、複雑怪奇な仮説を唱える必要はないと云うことです。

バラモンさんは森羅万象あらゆる物事を疑うので、次々と仮説が出来ますね。で、その仮説も疑わざるをえない。ここまでくると何かの疾患でもあるのかと気になるところですが、まあ余計な仮説は立てないでおきましょう(笑い。

この人を見ていると、懐疑だけでは先に進めない、という当たり前のことを感じます。ある一点、自分が物事を納得するポイントがないと無限ループに陥るだけです。
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誤解を恐れずに言いますが、僕はアウトサイダーアートの持ち上げ方が嫌いです。正確に言えば、まるで珍獣を愛でるような視線*が嫌いなのです。

作品は作者とは切り離すべきだ、と云うのが僕の持論なのですが、アウトサイダーアートはむしろ作者とべったりくっついて評価されているような気がしてならないのです**。

もちろん、多くアウトサイダーアートの作者であるところの、精神障害のある方々の社会参加あるいは経済的自立に、否やを申し立てるつもりは一切ありません。

ですが、アウトサイダーアートを評価する方にお聞きしたい。作者がごく普通に美大を出た人だったら、そんなに高く評価できますか?

アートは作品が全てだと思います。



*このたとえは、斎藤美奈子の「文章読本さん江」(ちくま文庫)から拝借した。野口英世のご母堂(シカさん)が英世に送った手紙を、文章読本業界で絶賛している件についてである。

シカのつたない手紙をありがたがるのは、珍獣を愛でるのと同じ発想なのである。つまりは差別の裏返し。シカがこのことを知ったら、おそらく恥と感じるはずだ。彼女だって、もっとちゃんとした手紙を書きたかったんだと思うよ、本当は。
(P144)

この文章は、アウトサイダーアートに対しても有効だと思う。


**実はアウトサイダーアートは、造形芸術とは異なる価値観で評価を得ているのかもしれない。だとするとこの稿は全く的外れなものになる。
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近藤典生・吉田彰
財団法人 進化生物学研究所
東京農業大学育種学研究所

信山社
進化生研ライブラリー1

アンモナイトもいいですが、三葉虫だって負けてはいません。この本も先日の「アンモナイト学」と同じく、写真集(モノクロ)と解説で構成されています。で、僕が開くのが写真のページというのも同じ(笑い。

表紙の三葉虫はどっかの異端邪教のシンボルみたいですが、これもれっきとした三葉虫です。中を見ると、サンダルの底みたいなのや独鈷杵のようなもの、海の法王みたいなの、カブトガニみたいなのなど、本当に色々な三葉虫が楽しめます。

まるでアンモナイトの時と同じ文章だな(苦笑
それはそれとしまして、三葉虫がお好きな方、気になる方は一度中をご覧下さい。アマゾンでも買えます。
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エンツェスベルガー
晶文社

10歳からみんな
数の悪魔が
数学ぎらい、治します!
真夜中の楽しいレッスン


さあてみなさん、今日は数学ですよ。
僕と同じで、苦手な方*もいるでしょう。でも大丈夫、この本を読めば、基礎の基礎くらいは分かります。あとは手元に置いておき、分からなくなるたびに参照すればよろしい。

この本で教えてもらえる概念を、目次と合わせて書き出してみましょう。

1の不思議(無限)
0はえらい(乗数)
素数の秘密
わけのわからない数と大根(無理数、平方根)
ヤシの実で三角形をつくる(二乗数、平方根)
にぎやかなウサギ時計(フィボナッチ数列)
パスカルの三角形
いったい何通りあるの?(階乗、順列)
はてしない物語(無限)
雪片のマジック(多面体、正多面体)
証明はむずかしい(旅するセールスマンの問題、多面体の表面)
ピタゴラスの宮殿(数学の歴史)

盛りだくさんですが、心配は要りません。順を追って説明してくれるし、なによりとても分かりやすい。「大根を抜く」とか「ホップする」とか、計算操作を独自に言い換えていますがそれもご愛嬌。数の悪魔は、学校の先生じゃないんです。

「ほんものの数学者というのは、たいてい、計算ができない。それに計算する時間だってもったいない。計算するんだったら計算機があるじゃないか」


すげーこと言ってる。さすが悪魔(笑い。


*実はバベルの図書館についての記事で、たんぽぽさんに無限に関するコメントを頂いたので、あわててこの本を読み返したのだった。
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