たとえについて
たとえで話をすると、信頼性が犠牲になります。わかりやすいけど、それだけではだめなんですよね。
湾岸戦争の頃だと記憶していますが、清水義範が、
と書いていました。
そのとおりです。「文章中の情報の正確性とたとえ話の多さは反比例するという法則」などとも言われます。議論を展開する際には、気をつけましょう。
湾岸戦争の頃だと記憶していますが、清水義範が、
国際協力で自衛隊を出す議論をする時に、「電車の中で痴漢がいるから、まわりと協力してやっつける」という言い方をするのは、フェアではない。自衛隊の役割や国際的な関係を、そのまま論じるべきだ(大意)
と書いていました。
そのとおりです。「文章中の情報の正確性とたとえ話の多さは反比例するという法則」などとも言われます。議論を展開する際には、気をつけましょう。
by tomoarrow
| 2012-08-30 07:00
| モチーフについて
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Comments(2)
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by
Poisonous_Radio
at 2012-08-30 07:44
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同感。
ただ、かと言って詳細な話をすると、序論の時点でもう
「なんか難しくてよくわかんね」
と聴衆が興味を失うとか、
「そんで結局のところ白なの?黒なの?」
と言われるとか。
正確性とわかりやすさはなかなか両立しがたいですね。
ただ、かと言って詳細な話をすると、序論の時点でもう
「なんか難しくてよくわかんね」
と聴衆が興味を失うとか、
「そんで結局のところ白なの?黒なの?」
と言われるとか。
正確性とわかりやすさはなかなか両立しがたいですね。
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tomoarrow at 2012-08-30 20:42
あっちをとればこっちが立たずω
相手に分かってもらえないと、対話の意味はないし、変に歪んで伝わっても意味がないし。
分かりやすく、正確に、簡潔に意思を伝達するのは、本当にむつかしいです。夫婦の日常会話でも、けっこう齟齬が生じるし。
相手に分かってもらえないと、対話の意味はないし、変に歪んで伝わっても意味がないし。
分かりやすく、正確に、簡潔に意思を伝達するのは、本当にむつかしいです。夫婦の日常会話でも、けっこう齟齬が生じるし。