澁澤龍彦の幻想文学観
「あいまいな、もやもやした雰囲気の中を、ただ男や女がうろうろと歩きまわるだけの話をいくら書いたって、そんなものは幻想でもなんでもありやしない。ぴんと一本の筋が作中を貫通して、部分と全体が有機的に支え合っていなければならないのである」
「ふたたび幾何学精神を」(『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』(学研M文庫)に収録。それにしてもこの本はほんとに面白い)
ううむ、なかなか興味深いご意見ですね。「一本の筋が作中を貫通して、部分と全体が有機的に支え合って」との喩えは、まるでフーガのようです。幻想とはきっちりと構成されたものであり、つまりは人工的な狂気とも言えます。シュルレアリストはむしろ現実を見据えていないといけないのです。
僕はバッハのフーガにも、熱病のような狂気を感じることはあります。
先日紹介した「完璧な涙」はどうなのだろう。ぎりぎりのところかな? そういえば中井紀夫がこう書いています。
「もっともいいタマはわるいタマにもっとも近いタマである」(剣をとりて炎をよべ」(早川文庫)あとがきより)
つまり、ピッチャーはど真ん中ではなくボールぎりぎりを狙うし、テニスもラインギリギリが一番いい。文学も、失敗作すれすれのヘンテコなものの方が、お品のいいお作品よりも面白い、ということですね。いやまったくそのとおり。「完璧な涙」も、ぎりぎりであるがゆえに、傑作なのでしょう。
そういえば「ハルヒ」シリーズもギリギリヘンテコで面白いですよねえ(と同意を求める)。
途中から話題がずれちゃった。ぴんと一本の筋が通っていない、ダメな文章ですねー(涙。